紹介された病院へ着いた時は夕方の6時前だったと思います。
日曜だったため救急外来しか受付しておらず、たくさんの人が受付前のベンチに座っていました。
松葉杖をついた少年、熱にうかされている幼女、しんどそうなおじさん、みんな辛そう・・・可哀想に・・・と同情しながら受付する私(オメーも救急患者だよ)
結構待たされてから診察ベッドに案内されました。カーテン越しにたくさんの人がひとつの部屋にいたと記憶しています。
ワケも分からないまま寝かされ、「ハイ点滴入れますねー、ちょっとチクッとしますよ~」とお決まりの台詞とともにぶっとい針を手の甲に刺されました。
手の甲!!痛い!!めっちゃ痛い!!
思わずひいぃぃぃいいたああああいいいいと声を上げて主人を見たら、主人の顔から血の気が引いており失神寸前になっていました。「ハイ後ろには倒れないでくださいねー」と前に倒されて丸椅子に横たわる主人。
注射が苦手な主人ですが、心の準備もなく目の前で私が採血や点滴をされて血が見えたため、気が遠のいたらしいです。
立ち会いできないなコレは・・・と思いました。
若い男の先生が慎重にモニターを見ながら、何度も何度も脚をエコーしてくれました。
しばらくして少し上の立場らしい先生が来て、モニターを見ながら「そうだなぁ」「やっぱそうですね」みたいなことを話していました。それから先生が、やっとこの症状について説明をしてくれました。要訳すると、
・脚の深部静脈(表面には見えない身体の奥の太い静脈)に血の塊(血栓)ができて、それが血液の流れを妨げ、大きくなっていき、ついに血流がほぼ止まってしまったため、脚が腫れた(これを下肢深部静脈血栓症と言う)
・妊娠中はお腹が大きくなっているので、脚の付け根(そけい部)を圧迫することはよくあること。だが大抵は静脈瘤という表面の血管がいくつか詰まってコブができる程度
・24時間点滴で血液をサラサラにするお薬(へパリン)を投与して、水で氷を溶かすように血栓を溶かしていく
・一番怖いのは、出産後にお腹の圧迫がなくなった時に、血栓が血管から剥がれてそのまま血流に乗って脳や肺へ飛ぶこと。大きな血栓が脳や肺へ飛ぶと、脳梗塞や肺塞栓になり死に至る
・そうならないために、今から出産まで入院となります
ということでした。
1日2日程度の検査入院かな~と思っていた私に、この「出産まで入院」という言葉は「あぁ出産まで、え、しゅしゅしゅしゅっさんまで!?」とリアルでこんな言い方になってしまうほどの衝撃でした。
主人を見ると、蒼ざめていました。まだ血の気が戻っていなかったようです。
クリニックの先生や師長さんたちは、私が血栓症になったのが分かったんですね。だからクリニックでの出産は不可能だということも分かっていたので、今生の別れのように(まさにそうだけど)お見送りをしてくれたんですね。
なんか、症状の説明や最悪の場合のことを説明されればされるほど、のほほんと歩いて電車乗って一日遊んでた自分が今更になってこええ~と思いました。
もし何らかの衝撃などで血栓が肺に飛んでいたら、私死んでたやん!!
病室に案内されることになり、車椅子に乗って運んでもらいました。
時刻はすでに夜中の1時を回っていて、ロビーも暗く、どこも人気が全くなくて、なんだか特別な感じでちょっとワクワクしました。
関係者だけが通れるいわゆるバックヤード?的なエレベーターに乗せてもらって、さぁ病室ですよ~。わぁここが病室かぁ。ドラマでしか見たことなかった病室かぁ。
ベッドに上がり、すぐに産婦人科の看護師(助産師)さんが来てくれて小声で色々と説明を受け、主人も帰って行きました。
初めての妊娠で初めての病気、そして初めての入院生活が始まりました。
なんだかすごく慌ただしい一日で、メイクも落とせずお風呂も入れずベッドに横になって天井を見上げていると、ようやく自分は入院したんだという実感が湧いてきました。
同時に、もう夫婦二人の部屋には帰れないんだ、次家に帰るときはこのお腹の赤ちゃんがいて、新しい生活が始まるんだと思うと、すごく悲しくなって涙が次から次へと溢れ出てきました。
もう少し夫婦だけの時間を満喫したかったなーという思いはありました。出産まであとたった3ヶ月といえばそうですが、その3ヶ月に夫婦でゆっくりと過ごしたかったのに、それが突然できなくなったのです。
アイロンもかけてない、洗濯もできてない、掃除もできてない、全部明日やろうと思ってたから。
家に着いたよーと主人からメールが来て、「とりあえず明日のシャツだけアイロンあてた。いつもやってくれてたから有難みがよく分かるよ。ありがとう」との文面を見て、また涙・・・。
何でもないようなことが幸せだったと思う・・・(ロード)
そうですね、自分に酔ってましたね。
ほら入院とか人生初だから。なんか自分がすごく特別な存在に思えたんでしょうね。すごく可哀想な自分!気分はロミジュリ。
その晩は涙で枕を濡らしました・・・。うん、その晩だけ。
そして翌日から私は、入院生活を心から楽しむようになっていくのでした。
つづく