レッツゴー専業主婦

無病息災 夫婦円満 夢は長者の専業主婦

入院生活~そして出産へ~

入院当時から妊娠に関しては何の異常もなく、順調に臨月を迎えました。

同室だった切迫早産の妊婦さんは36週になったら強制的に退院となり、陣痛が来たらまた来てくださいねという感じで一人、また一人と病室から去っていきました。

カーテン越しながらもどんな人なのかはなんとなく分かっていたので、心の中でエールを送っていた私。しかし私は出産直前までへパリンを投与していなければならないので、一時退院もありませんでした。

でも正直言って、助かりました!ここにいれば陣痛が始まってからLDRにいくまでずっとベッドで待機してられるし、不安なことがあればすぐ先生や看護師さんに来てもらえるし。家でいつくるか分からない陣痛を待つよりも、ここでのんびりしている方が楽チンだったので。

と、呑気に構えていたらお腹の中の赤ちゃんも呑気で、予定日を過ぎても一向に出てくる気配のないままあっという間に41週を迎えることになりました。

正産期に入ってからは、午前、午後と病院内の階段を1階から4階まで昇降するように先生に指示をされ、結構ゼーハーしながら毎日階段トレーニングをしていたので、早く出てきてほしかったです。

ベッドの上に3ヶ月もいると、見事に筋肉が落ちてしまって驚きました。エレベーターでロビーまで降りて、コンビニに行ってまたエレベーターで帰ってくるだけで膝がわらうんです。疲れてすぐに眠たくなって、横になったら眠ってしまってるんです。

めっちゃ衰えてる!!!自分の退化にゾッとしました。

妊娠してからというもの、自転車も車の運転もやめてもちろん走ることもせずゆっくりと歩くだけだったのが、入院で歩くこともできなくなりベッドの上で生活していたため、恐ろしいほど筋力が落ちてしまったのです。

もう私、二度と走れなくなるんじゃ・・・と本気で怖くなりました。走り方が分からないんです!スリッパで擦り足で3ヶ月間歩いていたから!人間てこんな簡単に退化するんだと改めて実感しました。

退化と言えば余談ですが、昔妹が就職が決まって東京で一人暮らしを始めたんですが、一人の部屋って本当にしゃべる相手がいないので、毎日毎日家に帰れば口を全く開かない生活をしていたらしいです。

そうしてある日、こたつの脚に足の小指をぶつけた時、突然の激痛に「いたっ!!」と言うべきところ、口から出たのは「ヴオォォアッッッ」という獣のような音(声じゃなくて音)だったのです・・・!!

妹は、「このままでは人間の言葉を失ってしまう」と恐怖を覚え、それからはテレビを毎日つけて、テレビにつっこんで、お笑いのDVDも積極的に見て笑うようにしたそうです。

恐るべし、東京砂漠の孤独感。トム・ハンクスがバレーボールに名前をつけて毎日話しかけていた気持ちがよく分かります。

 

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話が逸れました。まぁそういうわけで、先生ももちろんそれが分かっていたからこそ、こんな体力じゃ出産はもたないと言って私に運動するよう勧めてくれたんですね。

平日の昼間、院内は外来患者でいっぱいです。その中をパジャマとスリッパでひたすら階段昇降する臨月の妊婦。すれ違う人達の怪訝な表情よ。そうだよね、不気味だよね。私も部活してる気分でしたよ。

それでも出てこない、おしるしさえない日々を送りつつ、とうとう先生に「明日の朝、誘発しましょうか」と言われたのが40週最後の日でした。

中庭のベンチに座って、すっかり暑くなった空を見上げてお腹に語りかけました。

「おーい。まだ出てくる気ない?」

私が、ずっとこのままお腹の中にいてほしいと思ってたからかな~。そんなにお腹の中は気持ちいいのかなぁ。できれば自分のタイミングで出てきてほしかったけど、明日誘発するんだって。もうそれまで、満喫してていいからね。

本気でそう思えたので、赤ちゃんにも伝わったのでしょうか。その日の晩、ようやくお腹が痛み出しました。

空気読む奴だぜ・・・と感心しつつ、夜中の1時過ぎから徐々に痛くなってきた感覚をメモにとりつつ、5時過ぎにナースステーションに行って「お腹痛くなってきました」と伝えました。

その時の看護師さんの嬉しそうな顔!ここまで他人のことで喜んでくれるなんて、本当素晴らしいです。

主人には7時頃メールして「15分間隔になったらまた連絡するね」と送ったのですが、11時には病院に来てくれました。

実家の親とお姑さんも来てくれました。親はおにぎりと出汁巻きとから揚げをたらふく持ってきてくれて、お姑さんはメロンと苺とスイカを持ってきてくれました。

まだLDRには入れなかったので談話室でお弁当を広げパクパク食べてピクニック状態です。陣痛は5分間隔のまま16時頃まで変化なしでした。

ようやくLDRに呼ばれたのですが、なぜか親とお姑さん、主人、私の大所帯でLDRに・・・

しかも三角木馬みたいなやつに跨る私の正面に親達が並んでこちらを見守るという異常な光景。

いや、絶対無理やん。こんな観客いる中で産むなんてできるわけないやん。

なんか陣痛も遠のいてきた・・・

それなのに出ていこうとしてくれない親に泣きそうになっていたら、助産師さん達が救いの手を差し伸べてくれました。

「すみません、今から少し処置をしますので、皆さま一旦お席外して頂いて、休憩できる場所でお待ち頂けますか?あ、ご主人様はマッサージをしてあげるためにどうぞ残ってくださいね☆」みたいに、角の立たないスムーズな誘導で親をLDRから出してくれました!!神!!

安心したら途端にまた陣痛が襲ってきて、そこからはかなり激しい苦しみが何度も何度もやってきました。

よく、出産ほど痛いものはない。出産が一番辛い。出産できる女性は強いと言われますが、私は妊娠初期に肺炎になり肺に水が溜まり、その時の本気で死を覚悟したあの痛みと苦しみに比べれば、陣痛なんてそれほど辛いことでもないなと後になって思いました。

陣痛は、痛いんじゃないんです。苦しいんです。出したい、いきみたいと思うのにそれが許されなくて、お尻をこれでもかというほどすぼめて閉じないといけないのが非常に辛いんです。お尻ぶるぶる震えますからね。

助産師さんの的確なアドバイスを受け主人はとても頑張って私のお尻を押してくれ、主人のサポートのおかげで私は陣痛を乗り切れました。

MFICUにいたときは産婦さんの「痛い~~~~痛い~~~~死ぬ~~~」という言葉をいやというほど聞いていたけれど、実際自分がその立場になると、まず声が出ませんでした。息を吐き出すのが精いっぱいで、声帯を震わせて「い」「た」「い」と発音する余裕すらなかったです。痛い痛い言えるうちはまだ本格的じゃないんじゃ?とも思いました。

バースプランには「アロマを焚いてほしいです☆」と書いていたにも関わらず、アロマなんて焚いてもらうこともなくひたすらSM木馬で揺られていた私でした。

なかなか子宮口全開にならずにずっと待たされているうちに体力も尽きてきて、眠気が襲ってきました。ヤバい、これで寝たら陣痛遠のく・・・

もうこの時には意識も朦朧としていて、あ、なんかおしっこ漏らしちゃった・・・もういいや別に・・・恥ずかしくないわ・・・などとぼんやりしていたら、(恐らく)新人助産師さんが「リリーさん、破水しました・・・?」と。

「いや、破水かどうか分からないですけど漏らしちゃいました、スミマセン」と謝ると、確認されて「破水ですね」と。破水ってあんな感じなんだ!?絶対漏らしたと思った!!

「リリーさん、どうしたいですか?」と真剣な瞳で訊かれた私は、「・・・出したい・・・」と声にならない声で訴えました。

分娩台に乗って最終確認。「子宮口全開!オッケーです!リリーさん、出しましょう!!今から準備しますからちょっと待っててくださいね!」と言われ、現場は一気に分娩準備に入りました。しかしその間にも襲い来るあの感覚と闘っていると、私の大好きな助産師さんも来てくれて、「リリーさん、生みましょうね!」と笑顔で励ましてくれました。

なんかもうハァハァハァハァううううぅぅうという記憶しかないんですが、パニック起こしかけている一方で冷静な自分もいて、「すごい、新人助産師をきちんと指導してる・・・結構キツイ言い方もするんだな」とか「私全然暴言吐いてないな・・・陣痛の時はものすごい暴言吐くって体験談で読んだけど」とか色々と頭の中で考えていました。

そしてついに、最後のいきみで我が子誕生!!

正直、感動とか達成感とかそんなもの感じる余裕もなく、「出た・・・出た・・・お腹もう痛くない・・・」しか感想はありませんでした。

 

つづく